こんにちは!恵一です。
1974年生まれのかに座。和歌山県出身。
現在は和歌山県で通販会社、大阪府でコンサルティングの会社を経営しています。
28歳で独立しましたが、それまではサラリーマンをしていました。
理系の大学だったので、営業などのトークが苦手な私はできれば工場で機械とにらめっこするような職人になりたいと思い、繊維会社に入社しました。
工場勤務ができると思っていたのですが、人手が足りないということで事務系の仕事をさせられました。
その事務とは会社の商品の年間生産計画をする製造の本部の仕事でした。
おいおい、いきなり入社間もない私に会社の半分の商品の生産計画をしろってどういうこと!?ってサラリーマンは文句言えないですよね。
毎晩遅くまでサービス残業は当たり前、売れない商品を作ったと上司には怒られ、売るのは営業の仕事だろと思っても文句言えないという日々でした。
そんな古臭い中小企業でしたが、なんと能力給みたいなのができるようで、私の給料も激務をこなしているのでいよいよアップかなと期待していました。
が、給料アップしたのは営業成績の良い営業部の人たちばかり・・・。
成績がわかりやすい営業職の人ばかり昇給で、生産なんて能力を測れないみたいでした。
私の昇給、3年勤めてたったの280円。
『あぁ、このままこの会社にいても、給料はあがらないな』とぼそっと思いました。
『そうだ!将来は自分の給料は自分で決めるんだ!』と思っていると、急に工場への転勤が決まりました。
工場の人たちは、久しぶりの新人ということで大歓迎!
丁寧に機械の操作を教えてくれ、昼は囲碁、夜は宴会をしてくれました。
しかし、肝心の仕事がないんです。
理由は中国からの安い商品が入ってきているため、仕事が減っているということでした。
今日は製造する仕事がないとわかっていても1時間も電車で揺られる毎日を過ごしました。
仕事が無くても支払われる給料。
本社でいる時とはまた違った起業の気持ちが出てきました。
仕事もしないで給料をもらうなんて申し訳ない・・・。
そう悩む日々が続いても、機械の操作の勉強は毎日続きます。
工場の人たちはすごく良い人たちでしたが、自分の将来はここで過ごすことはないと思い、工場長が出勤してたばこに火をつけたときに、すっと辞表を提出しました。
すごく寂しそうな顔でしたが、
『自分が思うようにがんばってみな!』
と励ましてくれて、見送ってくれました。
それから、起業することなく父の工場でアルバイトをする日々が続きます。
そんなときに、本屋で立ち読みで見つけた本に素人でもできそうなフランチャイズのビジネスがありました。
その商売とは店舗が必要なのですが、ぜひやってみたいので本部に電話して加盟を申し込みました。
続く、、、